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名古屋高等裁判所 昭和29年(う)61号 判決 1954年3月30日

控訴人 被告人 松岡芳治

弁護人 楠田仙次

検察官 片岡平太

主文

本件控訴を棄却する。

当審における未決勾留日数中三十日を本刑に算入する。

理由

本件控訴の趣意は、被告人及び弁護人楠田仙次の各控訴趣意書の通りであるから、いずれも、これを引用する。

被告人の控訴趣意について。

論旨は、原判決認定の各恐喝の事実は、全部無実であり、又、詐欺の事実は、相手方の諒解の上借り受けたものであつて、詐欺したものではないというのであるが、原判決挙示の証拠によれば、原判決認定の各恐喝及び詐欺の事実を認めるに十分であつて、原判決に挙示してある原審における各証人の供述が虚偽であると認める証拠はない。記録を精査するも、原判決には事実の誤認はない。なお、論旨末尾の御寛大な処分を願う旨の記載は、量刑不当を主張するものと認められるが、訴訟記録並びに原審及び当審において取り調べた証拠によつて認められる本件犯行の態様、回数、被害の程度、被告人の前歴、家庭の状況、その他諸般の事情を綜合して考察すれば、原判決の刑の量定は、決して、重いということはできない。論旨は、すべて理由がない。

弁護人の控訴趣意について。

論旨は、本件については、被告人を刑事処分するよりも、保護処分に付するのが相当であるから、家庭裁判所へ移送されたいとうのであるが、被告人の経歴、前歴、年令、心身の状況、家庭の環境、本件犯行の態様、回数、被害額、その他諸般の事情を綜合して考察すれば、被告人は、保護処分に付するを相当とする程度を超えていて、刑事処分をするのが相当であると認められるので、原審の処置には、何等違法な点はない。論旨は採用できない。

職権をもつて、本件の公訴提起の手続の適否について考察するに、少年法第四十二条第二十条第四十五条第五号の規定によれば、検察官は、少年の被疑事件について捜査した結果、犯罪の嫌疑があるものと思料するときは、これを家庭裁判所に送致し、家庭裁判所は、調査の結果、その罪質及び情状に照して、刑事処分を相当と認めるときは、決定をもつて、これを検察官に送致し、検察官は、家庭裁判所から送致を受けた事件について、公訴を提起するに足りる犯罪の嫌疑があると思料するときは、公訴を提起しなければならないのであつて、かような規定を設けた趣旨は、少年事件の特質に鑑み、少年の保護の周到を期するために、少年事件を起訴するには、すべて一度家庭裁判所の審査を経由させることを建前としたものであつて、これ等の規定に違反し、検察官が少年事件を家庭裁判所を経由せずに、直接公訴を提起した場合には、その公訴提起の手続は、無効であるというべきである。そして、家庭裁判所が事件を検察官に送致する決定、いわゆる逆送決定には、罪となるべき事実及びこれに適用すべき罰条を示さなければならないことは、少年審判規則第二十四条に規定するところであるから、家庭裁判所が検察官に逆送する事件の内容は、逆送決定に明記すべきことはいうをまたないところであるが、それだからといつて、逆送決定に明記された事件だけが検察官に逆送されたものであると限定する必要はないものと解するを相当とすべく、当初検察官が家庭裁判所に送致した事件の全部の事実について、家庭裁判所において審査した後、特にその一部の事実について検察官への逆送から除外する趣旨が認められない限り、たとえ逆送決定にその一部の事実が明記されていないとしても、その全部の事実について、検察官への逆送がなされたものと解すべきである。蓋し、かく解するとしても、少年事件を起訴するについて、すべて一度は家庭裁判所の審査を経由させ、少年の保護の周到を期することを目的とした前記少年法の各規定の精神を没却することは少しもないからである。本件についてこれを観るに、本件は、検察官より、昭和二十八年十月三十日六個の恐喝と一個の詐欺の事実について、公訴が提起され、原判決は、右七個の事実全部について、原判決掲記の通り認定して有罪の判決を言い渡したものであるが、昭和二十八年十月十九日の岐阜家庭裁判所大垣支部の逆送決定には、原判決認定の第二及び第七の二個の事実(原判決認定の第七の事実は、逆送決定においては、恐喝の事実として摘示し、その罰条が示されて居り、本件起訴状及び原判決認定の事実としては、詐欺の事実として掲記し、その罰条が適用されているが、逆送決定に示されている訴因及び罰条に拘束されることはないというべきであり、両者の間には、事実の同一性があることが明らかであるから、この点に関する公訴提起の手続並びに原判決には違法な点はない。)を掲記し、この事件を岐阜地方検察庁大垣支部の検察官に送致する旨が記載されているだけであるが、昭和二十八年九月十八日附司法警察員の送致第四六八号少年事件送致書及び同月二十四日附送致第四七六号同送致書並びに同月二十五日附岐阜地方検察庁大垣支部検察官の岐阜家庭裁判所大垣支部への送致書によれば、検察官から本件起訴状記載の七個の事実(第七の事実については、起訴状には詐欺の事実として掲記されて居り、右送致書には恐喝の事実として記載されているが、その間に同一性があることは前説示の通りである。)について、家庭裁判所に送致されていることが認められ、又、岐阜家庭裁判所大垣支部の少年調書及び審判調書によれば、同家庭裁判所においては、検察官から送致を受けた七個の事実全部について審査をしていることが明らかであり、そして、右審判調書によれば、審判期日である昭和二十八年十月十九日前記逆送決定を告知し、その逆送決定の趣旨を説明していることが認められ、特に同審判調書及び前記逆送決定において、同決定に明記されている二個の事実以外の事実を除外する趣旨は認められないのであり、更に、同年十月二十一日附岐阜家庭裁判所大垣支部より岐阜地方検察庁大垣支部に対する記録送付書によるも、特に前記二個の事実だけに限定して検察官に逆送したものであるという趣旨は認められないので、本件七個の事実全部について、家庭裁判所の審査を経由した上、検察官に逆送されたものであると認むべきである。最高裁判所昭和二十七年(あ)第四七二八号昭和二十八年三月二十六日第一小法廷判決は、家庭裁判所が刑事処分を相当として検察官に事件を逆送した後に、捜査機関に発覚した余罪について、家庭裁判所の審査を経由せずに、検察官が公訴を提起した事案について、その余罪についての公訴提起の手続を不適法であると判示しているが、本件の場合は、右事案とその内容を異にしていると認めるので、右最高裁判所の判例と矛盾する判断をしたものではないと思料する。以上説示の通りであるから、本件の公訴提起の手続には、法規に違反した違法はない。

よつて、刑事訴訟法第三百九十六条に則り、本件控訴を棄却することとし、刑法第二十一条により、当審における未決勾留日数中三十日を本刑に算入することとし、当審において国選弁護人に支給した訴訟費用は、刑事訴訟法第百八十一条第一項但し書に従い、被告人に負担させないこととして、主文の通り判決する。

(裁判長判事 河野重貞 判事 高橋嘉平 判事 山口正章)

被告人松岡芳治の控訴趣意

私は恐喝、詐欺被告事件の控訴の趣意を申し出ます。私は去る一月六日に岐阜地方裁判所大恒支部にて右の被告事件について判決が有り一年以上二年以下の刑が言渡されましたが、私と致しましてはこの判決がなつとくがまいりませんので再審を申し出ました次第です。第一に証人の偽の証言であります。私は右原君よりカメラ並に金千円を借り受けた事は事実でありますが、決して恐喝など致したものではありません。清水君の所に行つて借りようと思つて行つた所が都合が悪いので石原君の所にこれから行くからたのんで見たらと言われ、一しよにまいりまして石原君よりよく理解してもらつて借り受けたものです。これは千円の件であります。それから数日いたしましてからカメラを一台借りました、すぐその日にかえすつもりでいましたが私の家でどうしてもお金が必要でありましたのでつい借りたカメラを質屋にもつて行き二日ばかりのつもりで入れてしまいましたが、どうしても二日の内に出す事が出来ず困つておりました。その時清水君が私の家にまいりまして母にとやかく申して行きました事を知り、返さなければならない、しかしどうし様も出来ずいらいらしていました時でしたのでつい清水君に「お前はだまつていてくれ、お前の関係の無い事であるから」と申した事に不満をかわれてしまいました。そうこうしている間に警察に呼ばれカメラの件で色々たずねられましたので私は本当の事を申し上げました。その日はそれで帰らして下さいました。そうして石原君に返済すべきお金を得るため働き口を見つけるため名古屋にいられる瀬戸少年院の理容科に教えに来て下さつていた中村先生の所に行き、退院してからをじの世話で知合の人の所へいつておりましたが私の少年院を退院してきた事をとやかく申されいたたまれなくひまをもらい、先生につとめ先をおねがいして家に帰りました。そうして先生の方からの御返事を今日か明日かとまつておりました。そうしている間に二度目に警察へ連れていかれカメラの事かなあと思つていましたら刑事さん連が「お前はこれこれの者達からおどして金をとつただろう、かくしてもだめだぞ」と申され何の事かとたずねたら、私の身におぼえのない事ばかりでびつくりやら怒りがこみあげてきました。私はそれは違います、これはこうなんですと申してもてんできいて下さらず、主任さんの所に行きましたらこれからよむからきいておれと申され私の事に関する事件を六つばかりよみあげられました。私はくやしくて涙ながら申し立てましたがだめでした。公判の時一生県命弁明しようとあきらめ、主任さんはさあ名前と拇いんを押せと申されましたが身におぼえがありません事をみとめるわけにはいきませんと毎日毎日四、五日こういう日がくりかえされました。初めはとてもくやしく反感をいだきましたが、これはやむをえない警察の人が悪いのではない。警察では訴があれば一応私を取りしらべされるのが当然であると心を落ちつけました。しかしどうして皆が偽の訴をするのかそれが不思議でなりませんでした。私にわかるのは石原君に不義理な事をしている故清水に不快を与えた事、又杉原君をなぐつた事、これらを考えました時私は反省せずを得ません。しかし事実を大げさにされては私もそのままにしておくわけにもいかず真実を申し上げます。(一)石原君の場合は恐喝は致しておりません。(二)清水君が、私が「石原君のカメラの事でいんねんをつけおどして金を取つた」と申しておりますが、これもでたらめであり決して事実ではありません。(三)杉原君の事実は、杉原君がたまたま高木あやみという人をおどしていた、これは高木さんから私が直接きかされた事でもあり杉原君も初めは私に知らないといつていたが、後でみとめ悪かつた、これからは決してめいわくをかけないと彼女の前でちかつたはずであります。私は高木さんより「杉原さんが二度と家に来たりおどしたりせぬよう私は女ですからとたのまれて、私はこの件をはつきりさしてあげようとひき受けこの事で杉原君と口論の最中私は二回程なぐつた事は事実でありますが金銭など受けとつてはをりませんし決して恐喝などいたしておりません。杉原証人の申立てはでたらめであり私をうらんでの供述としか思えません。(四)渡辺君の場合はこれ又恐喝ではなく暴行のみです。それは青木君より「渡辺はおれやお前の事をでたらめ吹ちようしている」といつて渡辺君を青木は私の所につれて来て渡辺君をなぐつたので私は一回なぐりました。それは青木君の言を信じていたからで、それ故いんねんといわれればそうかもしれませんが、公判の時述べている様な事はもうとうありません。又青木君が申立てている様な「松岡はたかれる様な者はいないか」とゆわれたといつておりますがこれも事実でありません。(五)南高校のA君の証言の場合国際劇場にて私に恐喝されたと申し立てておりますが、この人の事は会つた事もなければ話した事もなく、まつたくデツチ上げで私は何の事かさつぱりわかりません。(六)日本劇場で南校生B君との場合これは私と彼とがぐう然知り合い彼が自動三輪免許書を持つているときき、私もすこし出来ますので借りうけてそれを利用しようと思いたち、二日間かりる約束をして再会をやくし別れました。事実はこうで決して彼が申し立てている様ななぐられ、女の事でいんねんをつけられ、金銭をとられたなどでたらめ証言しております。これは私がこの免許書を取りあげてしまい、かへしてくれないと彼は思つて不満に思い偽の訴をしたものであると私は思つております。以上の様な事で恐喝に関してはまつたくの無実であります。私のけつ点としては、以前友人と口論しその友人をきづつけた事で少年院に収容されていた事実がある事、これが私を不利とし公判も一方に進行しすこしも私の証言をとりあげていただけずかえつてひにんしていると申され益々不利となりました。そうとて私と致しましてもこうだと証拠だてるものはありませんし、これも自己の不徳の致す所であると思い、こうなつてもいたしかたのない事ではありますが、しかし退院しせつかく更生しようと思つていてもこれではあまりにも自分で自分がなさけなくてなりません。石原君の場合又渡辺、清水、杉原君達を暴力行為に出たり又不義理な思いを与えた事によつてあらぬ事をとやかく申されてもと今では深く反省しております。そうしてこの人達を決してうらんだり憎んだり致してもおりません。むしろ自己を責めております。さりとて私は無き事を真実とされその罰を受けるのはとても心外でなりません。私の事実のみの罪は社会に対し又皆様や母に深く心よりおわび致しております。私の不徳の故にかようになつた事実をよくおくみとり下さいましてどうかこの私の心の苦しみをおきき下さいませ。そうして御理解ある御判決を心よりおねがい申し上げまする次第で御座居ます。二度と御めいわくはぜつたい御掛け致しません事をおちかい申します。何とぞ今一度御ゆう余の程を重ねて御ねがい申しあげるもので御座居ます。私の前途に光明をお与え下さりまして御寛大なる御処分をせつにせつにおたのみ申し上げます。

弁護人楠田仙次の控訴趣意

本件の少年たる被告人には刑事処分よりも尚保護処分を適当と認められるから、事件を家庭裁判所へ移送する旨の決定が願わしく 其の理由は

(イ) 原判決は起訴状の公訴事実全部を認めて被告人に懲役一年以上二年以下の不定期刑を言渡した。而して被告人は法廷に於ては勿論捜査段階に於ても全公訴事実を否認しているのであるが、証人(被害者)の証言に依り公訴事実は是認されるに至つている。此の判決の認定を誤りなしとするも六個の恐喝、一個の詐欺は何れも被害額は多額に上らず同年輩の少年の小遣銭で事が済み被害者を深く迷惑困窮に陥れたと云う如き形跡は発見出来ない。即ち尚ほ未だ思慮熟せずして血気の治まらない通常硬派と俗称される傾向の青少年の行為と見ることが出来る程度のものであると思料される。

(ロ) 岐阜少年鑑別所調査官国枝降の昭和二十八年十月六日付調書に依れば、被告人は少年院在院中昭和二十七年三月に蟲垂炎手術を受け同年四月には肋膜炎に罹り四ケ月病床にあり、次いで偏桃線炎、胃炎、蓄膿症に罹り今日尚ほ全身倦怠感を覚え発熱、喀痰ありとの身体異状が頗る著しいことが明らかである。これでは少年院で習得した理髪業も到底施す所もないのも明らかである。退院後浜松で理髪業に就職したが一月足らずで帰つて来たことは全く已むを得ない所であつて被告人の我儘勝手に帰することは出来ない。岐阜市在住の叔父松岡桂なる理髪業者も、少年院で職業補導した中村先生も手の下す方法がないであろう。(以上何れも前記調査官の調書中の事実に基く)被告人には刑罰よりも先づ休養と医療を必要とすることが痛切に観取される。

(ハ) 前記の如き被告人の身体異状に加え其の家庭には父なく、母は毎日僅少の給料(月四千五百円程度)のために外勤しなければならず、兄は昭和二十五年五月から肺結核を患い学業も休んでいるが昭和二十八年七月頃から子供を集めて教えるアルバイトをしている実状で、被告人が此の余裕なき温味のない淋しい家庭に静養出来るかは問わずして自明のことである。此の家庭状況は必然に被告人を戸外に追出すであろう。戸外にあれば被告人も空腹を感じ宿泊休養所も亦必要なのである。真意は其処になくとも同年輩者に対しては多少の無理も謂はねばその日が送れぬであろう。

被告人の所犯行為を目して真に憎むべしと考えることは余り事態の表面のみを見てその依つて来る表面を見ない為めではないかと考える。

(ニ) 被告人は司法警察職員に対しても、少年調査官に対しても、検察官に対しても、審判官に対しても亦公判廷に於ても犯行を頑強に否認した。(但し検察官に対しては石原勇雄から写真機を借り之を千円で入質したことを認めている)此の頑固さは何に由来するのか単に被告人に悔悛の情なく性頗る悪質なるが故に然りと断ずることは頗る早計ではなかろうか。被告人は少年調査官に対し「……(被害者は)私を陥らしめるために警察に申立てたと思います。よく調べて下さい」とまで強調したのである。被告人の此の頑強性は被告人の身体の異状、家庭の貧困、寂漠等の圧迫から来るものに深く怯えた無意識の反抗ではないか。俄に断定は出来ないが其の心理状態も異状であることを思はしめるには充分である。

以上の如く観察すれば、岐阜家庭裁判所大垣支部が「少年の反社会性は益々悪化の一途を迪りすでに固定化し保護処分の対象として考慮されない」(昭和二十八年十月十九日決定による)と断じたのは少年保護者又は関係人の行状経歴、素質環境等について医学、心理学、教育学、社会学その他の専門的知識を活用して調査が行はれた結果でなく(少年法第九条)頗る独断早計と謂はざるを得ない。依つて原判決を破棄し冒頭記載の如き決定に至るべく更に審理をつくされんことを希望する。(少年法第五十条)。

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